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フェスティバル


ピナ・バウシュが本拠地とするヴッパータールの町では、3年ごとに、大きなダンス・フェスティバルが行われています。
最初は、1998年10月、ピナが芸術監督に就任して25周年を迎えた、お祝いのお祭りとして、スタートしたのでした。
ピナの代表作の上演に加え、ギエムやバリシニコフ、マッツ・エックなど、世界中からピナを愛するアーティストが駆けつけて、お祝いのパフォーマンスを披露してくれるのですから、こんな贅沢な3週間はありません。
ダンスあり、コンサートあり、映画会あり・・・夕方に始まり夜明けまで、沸きに沸いた、夢のような日々。
そのときの模様は、「ピナ・バウシュ中毒」の第4章に詳しく書きましたので、ぜひ読んでくださいね。


ピナ、ウィリアム・フォーサイスとともに。
(「ピナ・バウシュ中毒」より)

深夜のレストランで、音楽や踊りが果てしなく続くなか、ピナとフォーサイスと一緒に撮ってもらった、このスナップ・ショットは、今も私の宝物です。


そのイベントが大成功をおさめたため、どんどん規模は大きくなっていきました。
去年の秋には、ついに、デュッセルドルフ、エッセン、ヴッパータールと、3つの町に規模を広げてのフェスティバル開催となったのです。
そんなに長い休みが取れるわけありませんから、私は中盤の10日間ほどを、皆とともに過ごしました。


フォルクヴァングにて
ピナとマリオン ピナとルッツ
フェルナンド、ベルントと私 ピナとロナルドと私


最初の1週間には、華やかなゲスト・アーチストのパフォーマンス、最後の1週間にはピナの有名作品が並びましたから、ほとんどの人がそのどちらかを選んだはずです。
でも、私は、一番渋いエッセン中心のプログラムにあえて参加したのですね。
エッセンには、ティーンエージャーのピナが学び、のちに教鞭を取ることになったフォルクヴァング芸術学校があります。
そのホールで、なんと、ピナの1972年の振り付け作品が披露されたのです!
その幻の「タンホイザー・バカナルズ」は、30年以上も前にこんな斬新な振り付けが可能だったなんて、と改めてピナの天才を観客に見せつけました。
また、ルッツの参加する「春の祭典」は、もう二度と実現しないかもしれません。
さらには、ヴッパータールで「アーネン」が17年ぶりの再演となったのですから、これを見ないではシロウト、とばかりに勢いこんで私はドイツに飛んだのですね。
ええ、言うまでもなく、すばらしい、興奮の日々でした。
エッセンの会場から会場へ移動する車のなかで、ピナが懐かしそうに街並みを眺めながら、
「あ、あそこよ。
あの家に、クルト・ヨースが住んでいたのよ」
などと教えてくれたことも、忘れられない思い出となりました。


「春の祭典」


「アーネン(祖先)」


残念だったことが、ひとつだけ。
昨年、日本をテーマにして作品を作ったピナは、ドイツ在住の日本人のために、デュッセルドルフでの公演のひとつを、日本語で上演する、という思い切ったアイデアを実現してくれたのです。
ドイツ語がわからなくて、なかなか劇場に足を運べない日本人にも、楽しんでもらえるようにという、心配りでした。
ところが!
当日満席の劇場へ出かけてみると、現地に暮らしている日本人の姿など、ひとつもありません。
日本人は、私と、日本からやってきたごく少数の観客だけではありませんか。
もう、ガックリ、でしたよ。
デュッセルといえば、商社や日本人が多いのでよく知られるところ。
日本の総領事館もあります。
なのに、誰も、芸術や劇場になど興味を持たないのでしょうか?
せっかく外国に生活しながら、ただビジネスだけで、その国の文化になど、お構いなしなのでしょうか?
それでは、あまりに情けないんじゃないでしょうかねえ・・・日本人。



2005年4月26日  
楠田 枝里子