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■マリア・ライヘ基金について



■最後に

■レポート
Mar.2014
ナスカ・パルパを
巡る国際講演会


■レポート
July2010
パルパ博物館から


■論文  
「古代パラカス人
の移動に関する
新たな考察」

New Speculation Regarding the Migration of the People of Ancient Paracas

■レポート
Oct.2006
新発見、ナスカの
地上絵


■論文  
「ナスカ・パルパ
の地上絵、ひとつ
の解釈」


One Interpretation
of the Nasca and
Palpa Geoglyphs


■レポート
Jan.2006
パルパ博物館の子供たち


■レポート
May 2005
マリア・ライヘ博物館


■レポート
Oct.2004
パルパ博物館


■レポート
Sep.2004


■レポート
Apr.2004
パルパの遺跡


■レポート
Jan.2004




Copyrights

■メッセージ
ナスカへ


■メッセージ
夢のような日々


■メッセージ
ペルーの子供たち





マリア・ライヘ基金について

楠田 枝里子 

「ナスカの地上絵」という遺跡を、ご存じですか?

南米ペルー、広大なナスカの大平原、あるいは砂漠の中に、トリ、サル、クモ、花、矢印、渦巻きなど、たくさんの巨大な絵が描かれています。
長いものでは、十何キロにも渡り、えんえんとラインが続いているのです。

あまりに大きく、また繊細なため、地上ではなかなかそうと気付かれないのですが、小高い丘に上ったり、飛行機で空から見渡すと、白く鮮やかに浮かび上がってくるという、不思議な遺跡。
年代測定法によって、およそ千数百年から二千年前、古代ナスカ人が描いたものであろうと知られていますが、あれほどのスケールのものをどうやって、また何の目的で作ったかについては、未だ謎が残されています。

さまざまな仮説が、試みられてきました。
宗教的な儀式に用いられたとするもの。
為政者が気球に乗って、上空から見下ろして、楽しんだという考え。
灌漑用水路に関係したものであろう、との学説。
などなど。

非常に魅力的な説を、ドイツ人の女性研究者、マリア・ライヘが提唱しました。
「地上絵は、天の星々の位置や動きを地上に写し取った、壮大な天文図である」
というものです。
地上絵は、重要な季節の到来を告げる、暦の役割を果たしていたというのです。

さて、そのマリア・ライヘは、1903年、ドレスデンに生まれました。
第一次世界大戦で父を亡くし、戦後の混乱の中、二十代の終わりに、単身ペルーへと渡ります。
そこで、「ナスカの地上絵」と出会い、「これこそが自分の人生を捧げる道だ」と確信を持って、数十年、研究を続けてきたのです。
決して豊かとは言えない異国の地で、衣食住にも事欠きながら、彼女は、地上絵の研究と保護のために、人生を捧げ尽くしたのでした。

ペルー政府は勿論、マリア・ライヘの功績を高く評価し、いくつもの勲章を贈りました。
ナスカにはその名を冠した通りや学校まであります。
人々は彼女を「マドレ・デ・パンパ」(大平原の母)と呼んで、尊敬し愛しました。

しかし、政治的混乱に加え、ペルーの国自体が貧しく、政府にマリアの活動を援助するだけの経済的余裕は、ありませんでした。
後に、妹のレナーテも、姉を追ってペルーへ移り、活動を共にしましたが、(ドイツ政府から支給される)姉妹の年金も、マリアの著書の売り上げも、全て、地上絵のために注ぎこまれました。
レナーテは、ドイツに所有していた家まで売って、遺跡の保護に努めたのです。
彼女たちの献身的な努力がなければ、多くの地上絵がことごとく破壊され、私たちも、後の研究者も、この壮大な不思議の世界を目にすることすらできなかったでしょう。

私は、全てを投げ打って遺跡を守ろうとした姉妹の人生に心打たれ、1980年代の半ばから、ナスカに通い、「ナスカ砂の王国」というノンフィクションをまとめさせていただきました。
同時に、この本の印税を全てマリア・ライヘの活動のために寄付するなど、10年に渡り、個人的な支援活動を続けてきました。

ところが、1995年、強力なサポーターであったレナーテが亡くなりました。
さらに相次ぐ地上絵の破壊や、資金不足から、マリアの活動は危機的状況を迎えてしまったのです。

何か、私たちにできることはないものだろうか、と考えました。
遠い外国にあったとしても、貴重な遺跡は、人類が皆で守っていかねばならぬ、共通の財産ではないか。
そんな仕事に生涯を捧げてきた人を、何とか応援してあげられないだろうか・・・。
1995年8月、私は、マリア・ライヘを支援する組織として、日本マリア・ライヘ基金を設立し、ひとりでも多くの方の理解と協力を求めることになったのでした。

ありがたいことに、たくさんの方々のご賛同と寄付をいただき、日本マリア・ライヘ基金は、彼女の活動を支えるため、地上絵のパトロール要員の手配、マリア・ライヘのアシスタントの経費などを、毎月援助し続けることが、できました。

しかし、1998年、悲しいことに、マリア・ライヘも帰らぬ人となりました。
残念ながら、その後、彼女の活動を引き継ぐ、信頼できる人物も組織もペルーにはなく、私たちの活動も、新しい可能性を探らねばならぬ状況となったのです。

マリア・ライヘの遺志を継いで、地上絵の研究と保護活動に尽力してくれるプロジェクトを、ずっと、探してまいりました。
この間のペルーでの政治的不安定は、問題をいっそう難しいものにしました。
私は、長い間、さまざまな機関と接触し、多くのアイデアを検討してきました。
そして昨年の夏ようやく、期待できるプロジェクトと巡りあうことができたのです。
ドイツの、DAINST(ドイツ考古学研究所)による、ナスカ・パルパ・プロジェクトです。

ナスカの北に位置する、パルパと呼ばれる一帯に、最近になって、新しい地上絵や遺跡が発見され、大きく注目されています。
そして、そこから、画期的な研究がスタートしています。
ここに、地上絵をはじめとするナスカ文化研究の中心軸となり、広報活動が行える、博物館を作ろうというのです。
ナスカの地上絵が、無知のために破壊されるなどという、過去の悲劇は、二度と繰り返されてはなりません。
科学的な研究が行われ、それが正しく人々に伝えられ、次の世代に引き継がれる・・・これは、最も重要なことだと思います。
研究者も、ツーリストも、地元の人々も集えるような、その施設は、マリア・ライヘの功績にも充分敬意を払ったうえでのプロジェクトだと、感じられました。

私は、このプロジェクトの代表である、ドクター・マルクス・ラインデルと、直接何度も連絡を取り合い、話し合いを重ねてきました。
聞けば聞くほど興味深く、意義のある活動であると、確信しております。
そして今、このプロジェクトに参加できることを、本当に嬉しく、ありがたい気持ちでいっぱいになっています。
これから、また新しい、ナスカの謎解きが始まるのです。

ここに至るまで長年にわたり、マリア・ライヘ基金をサポートしてくださった、ご専門の先生方に、多くの貴重なアドバイスとご助力をいただきました。
また、全国の皆様からの暖かなご支援に、励まされました。
この場を借りて、心より御礼申し上げます。

私たちは今、来年の初めの、博物館の最初の展覧会オープニングを目指し、協力して、活動を進めています。
今後、このホームページで、ご報告させていただくことができると思いますので、どうぞ期待して、ご覧になってください。

2003年2月 


サル

ハチドリ

クモ

ふくろう男

矢印

マリア・ライヘ 1985年

マリアとレナーテ