** Eriko Kusuta's World ** 楠田枝里子公式ホームページ **
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新作タイトル


「今年の新作タイトルが今、『TEN−CHI』に決まった!」
との知らせを受け取ったのは、6月10日のことでした。
これは、異例の早さです。
毎年の新作は、発表当初は「タンツ・アーベントI」「タンツ・アーベントII」とか、最近はただ「新作」とだけ呼ばれていて、正式タイトルが決定するまでには時間がかかるということは、単行本「ピナ・バウシュ中毒」第3章に詳しく書きました。
「ヴィーゼンラント」というタイトルが決まった瞬間のエピソードは、第8章に記したとおりですが、実は、今回のタイトル、それに負けないほどのスピードで生まれていたのです。
それは、5月の半ば、ヴッパータールでのことでした。
新作発表から、わずか1週間ほど後。
私のヴッパータール滞在最後の夜に、ピナやピナのパートナーのロナルドや、ダンサーたちと、夜遅い食事を取っていたときでした。
ピナが、
「ねえ、エリコ、この作品のタイトル、TEN−CHIはどうかしらねえ」
と切り出したのです。
それは、日本通で、合気道にも詳しいロナルドのアイデアでもありました。
そのときは、
「もう少し、考えてみるつもりなんだけど・・・」
と言っていたピナでしたが、最終的にこのタイトルを選んだということは、もうすでに早い時期から心は固まっていたように思います。


後ろ左から、エレナ、マルー、ジュリー(スタンザク)、ピナ、ナザレット、エリコ。
前左から、アイーダ、ザビネ。

右から、フェルナンド、ドミニク、エリコ。


5月のヴッパータールは、「メッセージ」にも書いたとおり、実に興奮に満ちた1週間でした。
ドレスリハーサルから、プレミエ、その後も毎日劇場に足を運び、同じ作品を見続けたのですが、がらりがらりと内容が変っていて、見るたびに、違う。
前日はなかったシーンが突如加わったり、あるシーンがまるごと削られていたり。
2部にあったシーンが、ごっそり1部に動かされていたり、音楽や小さなシーンの変更なんて、もう数え切れない。
連日、観客は沸きに沸いて、スタンディング・オーベーションの嵐。
最後に席に座っている人なんて、ひとりもいませんでした。
1週間ずっと、毎日です!
私は、この作品の変化を目の当たりにすることで、またひとつ深いピナ・バウシュの世界の見方を知ったように思います。
ピナ作品の「抱きしめ方」を体得したように感じています。

ヴッパータールでのプレミエが終わり、熱狂的な拍手のなか、ピナが劇場のホールに出てきたとき、私はかけよって、
「おめでとう、ピナ」
と声を掛けました。
するとピナは、ちょっとうつむいて、はにかむように、
「あら、たった今、始まったばかりなのよ」
と答えたのです。
実にピナらしい言葉だと、私は感じ入ったのでした。
ピナ自身が誰よりも疲れていることは明らかでしたが、ピナはホールに集まった人皆に、なお気を使っていました。
私にまで、
「エリコ、お腹すいたでしょう。
そこに座って、何か食べてちょうだい」
と椅子を勧めます。
勿論、ピナが座らないことには、私も落ち着くことはできません。
パリから来ていたアケミさん、ミユキさんと一緒に、ピナの手を取って、なんとか腰を下ろしてもらい、急いで赤ワインを差し出しました。
そして、グラスを合わせ、
「乾杯」
と声をそろえたあと、
「すばらしい新作に」
と言おうとした瞬間、ピナがすかさず、こう続けたのです。
「トマスのために」
なによりも最初に、トマスのために、と思いやったピナの気持ちが、あまりに美しくて、その場に居合わせた人々は皆、心に涙しました。
誰もが、その会場に、トマスの姿を感じていたのでした。
(トマスについては、「ピナ・バウシュ中毒」第3章、第8章、そしてこのセクションの「訃報」を、ご覧ください。)


ピナとジュリー(スタンザク)。

右から、ピナ、ジュリー、アイーダ、エリコ。


ところで!
去年の新作「NEFES」のタイトルが決まったのは、8月の下旬でした。
私は「ピナ・バウシュ中毒」(河出書房新社)をすでに脱稿し、最終校了も終わったあとのこと。
普通なら、もうとても間に合わない状況だったのですが、それでも、なんとか頑張って、印刷を途中でストップし、ぎりぎりで、「ピナ・バウシュ略歴と作品」の最後に、最新作のタイトルを入れることができたのでした。
単行本でありながら、ピナの公演カタログよりも、どこよりも早く新作タイトルを発表できたことを、私は、とても誇らしく感じています。
誰にも、気付いてもらっていないと、思いますけれど・・・ね。



2004年7月5日  
楠田 枝里子