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「パレルモ、パレルモ」に酔う


東京の桜がほころびはじめた週末の午後、ピナ・バウシュの「パレルモ、パレルモ」を観るために、テアトロ・ジーリオ・ショーワに向かいました。
1989年初演の伝説的な作品で、日本では初めての公演。
見所のひとつは、まず、何といっても、開演してすぐ、ステージ正面いっぱいにうず高く積まれたブロックの壁が、一瞬にして崩れ落ちることでしょう。
轟音とともに、あたりにもうもうと埃が舞いあがり、そのなかでパフォーマンスが展開されていきます。
当時、この舞台美術が決定して1週間後に、ベルリンの壁が崩壊したことから、「ピナはベルリンの壁の崩壊を予言した」と、おおいに噂されたものでした。
日本でも幾度か公演の話が進みましたが、その衝撃の大きさに耐えられる劇場が見つからず、延び延びになっていたものです。
(89年12月のイタリア、パレルモでの初演では、ブロックが劇場の床を突き破ったのですから、受け入れ先が慎重になるのもわかりますよね。)

やりきれない思い、剥き出しの敵意、生きのびるために果てしなく続く戦いと、そのさきの祈り・・・。詳しくは、「ピナ・バウシュ中毒」第2章で読んでいただきたいのですが、重々しく、激しい悲しみをたたえた作品です。

ええ、今回もすばらしいパフォーマンスでした・・・ただ・・・。
正直に言うと、今回の日本公演は、少し印象が違っていました。
以前ヨーロッパで見たときより、随分明るく、優しい雰囲気になっているようです。
どうもライティングがベタで、作品世界の深みを奪っている感じ。
舞台に奥行きもないようにも感じられます。
なにより残念だったのは、パフォーマンスが始まる時間まで、ステージにはえんじの緞帳が下がっていて、舞台装置を隠しており、とても興醒めだったことです。
ピナの舞台は、見る人の現在、日常と繋がっており、連続線上で展開されるべき。
客席に腰を下ろして、舞台装置にほおっと息をつき、その空間にもなじんだころ、突如その世界が崩壊する・・・そうでなくっちゃ、面白くないじゃないですか。
ブザーが鳴って、するするとありきたりの緞帳が上がり、さあパフォーマンスが始まります、というような古臭いやり方はヤボなのですね。

とまあ、私なりに気になったところを思いつくまま書いてしまいましたが、ごめんなさい、私がこの作品を愛してやまない証拠、その想いの熱さゆえと、お許しください。
勿論、拙著にも書いたとおり、作品は生き物ですから、その時代やメンバーによって進化していくもの。
かつての幻影を追いかけてばかりいても、仕方ないのですね。
日本の劇場の限られた条件のなかで、変更せざるをえないこともでてくるでしょう。
そして、そうしたこと全てを認めたうえで、「やっぱりピナ作品は、すごい」と感嘆する、圧倒的な魅力、説得力が、この作品にはあります。
またもう一度、いつか、どこかの町で、「パレルモ、パレルモ」に出会いたいものです。

終演後、劇場近くのカフェのテラスで、ピナとお茶を飲みました。
山海塾の天児さんや、舞台美術家の小竹さんも一緒です。
気心の知れたメンバーでのくつろいだ時間・・・。


夕暮れ時は、さすがに肌寒くなっていました。
ピナは自身の黒い長いストールを「シェアしましょう」と、
私の肩にかけてくれました。
その優しさに、私は恐縮すること、しきりです。

小竹さんがすかさず携帯で写してくださった3枚は、
さすがに味のある、いい写真ですねえ。


ピナの姿を見つけた若者が、次々やってきて、話しかけたり、握手やサインを求めたりしました。
なんと美しいこと!
ピナ・バウシュが日本で、これほど若い世代に受け入れられ、愛されるようになったことを、私はとても幸せに思ったのでした。


2008年3月24日  

楠田 枝里子