** Eriko Kusuta's World ** 楠田枝里子公式ホームページ **
|
|
訃報
悲しい知らせが、届きました。
今日未明、トマス・エルドスが、亡くなりました。
(現地時間で、25日夕。)
暮れに、彼がもう末期のガンで、2月は越せないだろうと聞かされていたので、このところ、私はずっと、トマスのことが気がかりでなりませんでした。
心の準備などできようはずがありません。
知らせを受け取って、ひとしきり泣いて、そのあとも少し気を緩めると、涙があとからあとからこぼれ落ちて・・・。
周囲を大きく優しく包み込む、お父さんのような人でした。
ハンガリーに生まれ、戦中戦後の波乱に富んだ人生を歩み、パリを拠点として芸術活動を続けるなか、ピナ・バウシュと巡りあって、共に笑い、泣き、戦って・・・。
「23年間、ぼくたちは一緒にたくさんの旅をして、たくさんの発見を重ねてきた。
心からありがたいと、感じるんだ。
80年の人生を振り返ってみたとき、ピナと共にいられたことは、ぼくにとって、すばらしい名誉であり、幸運だったと思うよ」
と、私に話してくれました。
トマスのいる場所は、いつも、穏やかで温かな思いやりに満ちていました。
「ピナ・バウシュ中毒」の第3章にさまざまなエピソードを書きましたので、ぜひ読んでいただきたいと思います。
そして、彼の安らかな旅立ちに思いを馳せていただきたい・・・。
トマスから、私は「さよなら」という言葉を聞いたことがありません。
パリでも、ヴッパータールでも、東京でも、どこで共に過ごしていても、いつのまにか、ひとりそっといなくなることが多いのです。
それは、別れを口にすることで、楽しい時間にピリオドを打ちたくない、次に世界のどこで巡りあうことになろうとも、美しい旅が果てしなく続いていってほしいという、トマスらしい優しさのあらわれなのだろう、と私は本に書きました。
日本を愛したトマスは、歌舞伎や文楽など、伝統芸能をヨーロッパに紹介した功績でも、よく知られています。
昨年11月、ピナの日本公演のさい、すでに体調を崩していながら、トマスが来日したのは、もうこれが最後と、日本に別れを告げるためだったようです。
しかしやはり、そのときも、私は「さよなら」を耳にしませんでした。
ひとつだけ、本の中にあえて書かなかったエピソードがあります。
「ピナからもらった言葉のなかで、もっとも嬉しかったのは?」
という私の質問に、トマスは、しばらく静かに思いを巡らして、
「I miss you」
と答えを返してくれました。
ピナと別れるとき、彼女はきまって、この言葉をトマスに贈るのだそうです。
I miss you・・・あなたがいないと、寂しいわ。
それを聞くと、ここに自分を必要としている人がいる、と、とても幸せな気分になるのだと聞きました。
トマス、私も、あなたに、「さよなら」は言いません。
あなたは永遠に、私たちの心のなかに生き続けるのですから。
旅の途上で、またいつか巡りあうのですから。
トマス、ただ繰り返し、あなたに伝えたいのです。
心から、ありがとう、
そして、
I miss you!
2004年2月26日
楠田 枝里子
パフォーマンスのあと、深夜のパリのレストランにて。
一番奥で穏やかな笑みをみせているのが、トマス。
パリでの美しい思い出は、いつもトマスと一緒だ。
|
ヴッパータールにて。
トマス(右)とマティアス(左)が、イタリア料理店でランチをご馳走してくれました。
たっぷり笑った2時間でした。
|
日本公演の初日のレセプションにて。
一番左がトマス。
チョコレート好きの私のために、トマスは来日するときいつも、ダロワイヨのチョコレートを、パリからのお土産に持ってきてくれました。
その心配りが嬉しくて、食べ終わったあとのボックスを幾つも、私は今も大事に取ってあります。
|
東京の自宅に招いたときのスナップ。
中央のピナの後ろに隠れるように顔を出しているのが、トマス。
美味しいお寿司に舌鼓を打ち、このあと六本木へと繰り出しました。
|
東京、バー・ラジオにて。
右奥にいるのが、トマス。
ピナ・バウシュという名のカクテルを、楽しみました。
|
|
|
|
|