** Eriko Kusuta's World ** 楠田枝里子公式ホームページ **
■ ありがとう、マリオン

■ ダムタイプの宇宙へ

■ 羽生結弦「GIFT」

■ おもしろ消しゴムの、イワコー

■ ショコラ・エ・ショコラ

■ ドイツから、友情のプレゼント

■ 新年にあたって

■ クリスマス・マーケット

■ 愛猫マフィン、虹の橋へと

■ ロジェさんのアトリエ、情熱のボレロ

■ ピナ・バウシュからの招待状

■ 今年の、私のクリスマス・ケーキ

■ ラ・メゾン・デュ・ショコラに拍手

■ 「鮎正」の鮎尽くし

■ ベッリーニの夏

■ ヴェネツィア、仮面のカーニバル

■ サロン・デュ・ショコラ、注目のチョコ

■ ロジェ・ワインに、夢中

■ アラン・デュカスさんの、クリスマス

■ エヴァンさんのクリスマスケーキ

■ フェルベールさんのアトリエ、アルザス

■ J・P・エヴァンさんの、ラボラトリー

■ マリア・ライへ基金、最後の食事会

■ パトリック・ロジェの彫刻展

■ カフェ・フローリアン

■ 速報!パトリック・ロジェのワイン

■ オクトーバーフェスト

■ マリア・ライへ基金より、御礼

■ 幸せな、時間の贈り物

■ サロン・デュ・ショコラ2017

■ サロン・デュ・ショコラ・パリ

■ マルコリーニさんのアトリエ

■ 世界のどこかで

■ 毎日、シュパーゲル

■ ペギー・グッゲンハイム・コレクション

■ サロン・デュ・ショコラ2016

■ チョコレート、チョコレート

■ ゴンドラに揺られて

■ ピナ・バウシュを追いかけて

■ ホワイトアスパラの季節

■ 絵本「かぞえる」

■ パリ、美食の日々

■ ナスカを想う夜

■ ヴッパータール、ヴッパータール

■ なるほど!同窓会

■ スイスの休日

■ ナスカ・パルパを巡る国際講演会

■ 長谷川博さんのこと

■ ピナ・バウシュに会うために

■ チョコレートの奇跡

■ J.P.エヴァンのクリスマス・コレクション

■ ピナを想う

■ 楠田枝里子オリジナル・ジュエリー

■ 2010年の初めに

■ ピナ・バウシュ追悼

■ 訃報

■ 年賀状

■ 楠田枝里子のフィギュア消しゴム

■ パリにて、チョコレート三昧

■ 春の宴

■ 「パレルモ、パレルモ」に酔う

■ 年明けのご挨拶

■ チョコレート・レストラン

■ ピナ・バウシュの新作に酔う

■ 生駒編集長からのプレゼント

■ 話題のラス・シクラス遺跡

■ まるみえ誕生会2007

■ 寒い冬の日は、りんごのケーキで

■ 自分の力で、電気を起こす

■ どうぞ良いお年を!

■ クリスマス・ケーキ、シュトレン

■ チョコレートの季節

■ 新発見、ナスカの地上絵

■ まるみえ、似顔絵大会

■ ナスカ、パルパそしてシクラスへ

■ バー・ラジオ

■ 5月の静かな涙

■ まだ、ピナ月間

■ いざ、ピナ月間

■ まるみえ誕生会2006

■ 2006年の、ニューフェイス

■ サイン本と、衣装プレゼント

■ パラシュート

■ 東京湾大華火祭

■ ダイアン、フロイト、そしてピナ

■ 続く、ピナ月間

■ また、ピナ月間

■ バルタバスの春

■ 新年に、絵本メール

■ チョコレート・ダイエット

■ ナスカへ

■ 夏、祭りのあと

■ 私のピナ月間

■ 夢のような日々

■ ゆかいな帽子

■ 珍しいキノコ

■ 真っ暗闇のなか

■ 新年は花火とともに

■ お礼

■ FNS歌謡祭

■ ピナ・バウシュ中毒

■ 衣装プレゼント

■ 火星、大接近!

■ からくり人形

■ 天の助け

■ 検索エンジンの不思議

■ ペルーの子供達

■ 鯉のぼりを着る

■ お掃除ロボット

■ まる見え誕生会

■ はじめまして!


Copyrights



バー・ラジオ


6月30日、青山の「セカンド・ラジオ」が、閉店となった。
仕事帰りに駆けつけた私は、店主の尾崎さんに花束を贈り、美しい空間に別れを告げた。

伝説のバーテンダー、尾崎浩司さんが神宮前に開いた最初の「バー・ラジオ」もまた、伝説のバーだった。
バーテンダーを志す若者にとって、尾崎さんは神様のような存在。
同時に、客としても、そこは容易には足を踏み入れることのできない、特別な場所だった。
時は、70年代〜80年代。
心地よく背景にジャズの流れる、静かな大人の場所。
花も、インテリアも、ランプも、グラスも、アンティークのラジオも、まるでオブジェのように並べられた飛び切りの酒のボトルも、全て、尾崎さんの美意識で完璧に選りすぐられたもの。
尾崎さんがこの世に生み出したカクテルの数々が、メニューに踊っていた。
その美世界に入れてもらえるかどうか、尾崎さんの無言の許可が必要だった。
大声で話したり、落ち着きのない人、言葉使いの悪い人、店内の空気を乱すような人は、許されなかった。
お酒を楽しんでも、酔っ払ってはいけなかった、
お金持ちであろうと、社会的地位があろうと、尾崎さんの美意識に適わない人は、認められなかった。
そのガンコさには、胸のすくような、清清しさがあった。
バー・ラジオに出入りするためには、立ち居振る舞いが大人で、かつおしゃれでなければならなかった。
20代の終わりだった私は、店に入る前に、大きく深呼吸をし、背筋を伸ばしたものだ。
そう、バー・ラジオは洗練された大人の世界への、登竜門だったのである。


バー・ラジオ
(「バー・ラジオのカクテル・ブック」より)


夜遅く、仕事を終えた私が、バー・ラジオをのぞくと、そこには、まだ若い時代の和田誠さんや、イッセイ・ミヤケさんたち、アーティストやクリエーターが集っていた。
ちょうどバブルの時期と重なっていたこともあり、顔なじみが何人か揃うと、ドンペリやらラトゥールやらムートンやら、最上級のシャンパン、ワインが、次々に開いて、私の前にも振る舞われたグラスが回ってきたりした。
それが、ちっともいやらしくなく、さすがバー・ラジオらしい、インテリジェントで、粋なやり方で。
高い酒を開ければよい、というのではない。
酒を熟知したメンバーが、一夜の物語を紡ぎだすように、ワインを選び、語り、生まれ出た世界の輝きを共に楽しむように、さりげなく周囲に振る舞うのである。
私は一番の若輩で、尾崎さんがヨーロッパを回って探し出してきた、アンティークのグラスのみごとさに目を奪われ、粗相があっては大変だと、ドキドキしながら、美酒に酔っていた。
美しいものへの感性を、バー・ラジオで磨いてもらったことを、心からありがたく思う。

その後、青山に「セカンド・ラジオ」が生まれ、バー・ラジオを任せられていた大西さんが亡くなったことを機に、神宮前の「バー・ラジオ」は、店を閉じた。
ピナ・バウシュも「セカンド・ラジオ」のファンで、来日すると、よく一緒に飲みに出かけたものだ。
うっとりとその美空間に身をゆだね、花道や茶道にも通じた尾崎さんに、日本の作法について話を聞いては、感心していた。


セカンド・ラジオにて


そしてまたこの夏、「セカンド・ラジオ」が終わることになったのも、時の流れというものだろうか。
最後の情景を目に焼き付けるように、私はカウンターに、深夜2時間ほど、座っていた。
客層はずいぶん変わって、知人の顔は見えない。
途中、ワイン通で有名なグラフィック・デザイナーの麹谷さんがやってきて、かつての日のように、ドンペリを開けて、私にも尾崎さんにもグラスを回し、乾杯をして、去っていった。
私は、その乾杯をしたシャンパングラス3脚を、譲ってもらって、帰路に着いた。

寂しい気持ちは抑えようがないが、時代を嘆いていてもしかたがない。
尾崎さんは、これから、青山の「サード・ラジオ」に専念することになるという。
「サード・ラジオ」は、これまでのバーとは少しニュアンスが違うが、尾崎さんが常駐することによって、新たな雰囲気が生まれてくるだろう。
尾崎さん本人は、
「少し時間ができそうなので、今度は"謡い"を始めるんです」
と、あくまでも美しい世界に貪欲である。
近いうちに、また、「サード・ラジオ」の尾崎さんに、会いにいこう!


2006年7月1日  

楠田 枝里子