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バー・ラジオ
6月30日、青山の「セカンド・ラジオ」が、閉店となった。
仕事帰りに駆けつけた私は、店主の尾崎さんに花束を贈り、美しい空間に別れを告げた。
伝説のバーテンダー、尾崎浩司さんが神宮前に開いた最初の「バー・ラジオ」もまた、伝説のバーだった。
バーテンダーを志す若者にとって、尾崎さんは神様のような存在。
同時に、客としても、そこは容易には足を踏み入れることのできない、特別な場所だった。
時は、70年代〜80年代。
心地よく背景にジャズの流れる、静かな大人の場所。
花も、インテリアも、ランプも、グラスも、アンティークのラジオも、まるでオブジェのように並べられた飛び切りの酒のボトルも、全て、尾崎さんの美意識で完璧に選りすぐられたもの。
尾崎さんがこの世に生み出したカクテルの数々が、メニューに踊っていた。
その美世界に入れてもらえるかどうか、尾崎さんの無言の許可が必要だった。
大声で話したり、落ち着きのない人、言葉使いの悪い人、店内の空気を乱すような人は、許されなかった。
お酒を楽しんでも、酔っ払ってはいけなかった、
お金持ちであろうと、社会的地位があろうと、尾崎さんの美意識に適わない人は、認められなかった。
そのガンコさには、胸のすくような、清清しさがあった。
バー・ラジオに出入りするためには、立ち居振る舞いが大人で、かつおしゃれでなければならなかった。
20代の終わりだった私は、店に入る前に、大きく深呼吸をし、背筋を伸ばしたものだ。
そう、バー・ラジオは洗練された大人の世界への、登竜門だったのである。
バー・ラジオ
(「バー・ラジオのカクテル・ブック」より)
夜遅く、仕事を終えた私が、バー・ラジオをのぞくと、そこには、まだ若い時代の和田誠さんや、イッセイ・ミヤケさんたち、アーティストやクリエーターが集っていた。
ちょうどバブルの時期と重なっていたこともあり、顔なじみが何人か揃うと、ドンペリやらラトゥールやらムートンやら、最上級のシャンパン、ワインが、次々に開いて、私の前にも振る舞われたグラスが回ってきたりした。
それが、ちっともいやらしくなく、さすがバー・ラジオらしい、インテリジェントで、粋なやり方で。
高い酒を開ければよい、というのではない。
酒を熟知したメンバーが、一夜の物語を紡ぎだすように、ワインを選び、語り、生まれ出た世界の輝きを共に楽しむように、さりげなく周囲に振る舞うのである。
私は一番の若輩で、尾崎さんがヨーロッパを回って探し出してきた、アンティークのグラスのみごとさに目を奪われ、粗相があっては大変だと、ドキドキしながら、美酒に酔っていた。
美しいものへの感性を、バー・ラジオで磨いてもらったことを、心からありがたく思う。
その後、青山に「セカンド・ラジオ」が生まれ、バー・ラジオを任せられていた大西さんが亡くなったことを機に、神宮前の「バー・ラジオ」は、店を閉じた。
ピナ・バウシュも「セカンド・ラジオ」のファンで、来日すると、よく一緒に飲みに出かけたものだ。
うっとりとその美空間に身をゆだね、花道や茶道にも通じた尾崎さんに、日本の作法について話を聞いては、感心していた。
セカンド・ラジオにて
そしてまたこの夏、「セカンド・ラジオ」が終わることになったのも、時の流れというものだろうか。
最後の情景を目に焼き付けるように、私はカウンターに、深夜2時間ほど、座っていた。
客層はずいぶん変わって、知人の顔は見えない。
途中、ワイン通で有名なグラフィック・デザイナーの麹谷さんがやってきて、かつての日のように、ドンペリを開けて、私にも尾崎さんにもグラスを回し、乾杯をして、去っていった。
私は、その乾杯をしたシャンパングラス3脚を、譲ってもらって、帰路に着いた。
寂しい気持ちは抑えようがないが、時代を嘆いていてもしかたがない。
尾崎さんは、これから、青山の「サード・ラジオ」に専念することになるという。
「サード・ラジオ」は、これまでのバーとは少しニュアンスが違うが、尾崎さんが常駐することによって、新たな雰囲気が生まれてくるだろう。
尾崎さん本人は、
「少し時間ができそうなので、今度は"謡い"を始めるんです」
と、あくまでも美しい世界に貪欲である。
近いうちに、また、「サード・ラジオ」の尾崎さんに、会いにいこう!
2006年7月1日
楠田 枝里子