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マリア・ライへ基金より、御礼
1995年に「マリア・ライへ基金」を立ち上げてから、この夏で22年になります。
当時、ナスカの地上絵の保護活動を懸命に叫び続けてきたドクター・マリア・ライへは病の床にあり、ナスカは荒廃して、非常に難しい状況になっていました。
私たちの基金のためのリサーチも、困難を極めました。
そんななか、私に同行してナスカに赴き、サポートしてくださったのが、坂井正人さんという、当時東京大学の大学院生だった研究者でした。
その10年ほど前から、私は東大のアンデス発掘調査隊の皆さんと交流があり、大貫先生や加藤先生に多大なご指導をいただいていました。
坂井さんは、ペルー北部のクントゥルワシで研究をしていらしたのですが、先生方のお力添えもあり、私を手助けしてくださることになったのですね。
ナスカでのリサーチの苦しい日々を何とか乗り越えられたのは、坂井さんの誠実で着実なサポートのおかげでした。
ありがたいことに、その後も、坂井さんは、ナスカへの興味を持ち続けてくださいました。
マリア・ライへ基金の会報にレポートを寄せてくださったり、ドクター・マルクス・ラインデルと取り組んだパルパ博物館のプロジェクトが成功したさいには、そのオープニングにはるばる駆けつけてくださいました。
ドイツ考古学研究所にて、
ドクター・マルクス・ラインデルと。
パルパ博物館の前にて。
右から、坂井さん、私、加藤先生。
そして、さらに、ナスカの地上絵の研究を進めてくださり、今では山形大学の教授として、日本の「ナスカの地上絵」研究の最前線でお仕事をしていらっしゃいます。
驚くことに、新しい地上絵も、続々と発見されています。
古くから知られている地上絵の保護も大切ですが、新発見された地上絵をどう守っていくかも、大きな課題。
坂井さんは熱心に、新しく発見された「ナスカの地上絵」の保護プロジェクトに取り組んでいるのです。
そこで微力ながら、私たちの「マリア・ライへ基金」も、そのプロジェクトに賛同し、ご協力させていただくことを、決定致しました。
さて、長きにわたり、たくさんの方々にご支援いただきました「マリア・ライへ基金」も、その役割を十分果たせたのではないかと、満足しております。
マリアさんの情熱は、私たちの活動を経て、次の世代へと引き継がれ、嬉しいことに、坂井さんやドクター・ラインデルという研究者のお仕事のなかに、生き続けています。
「マリア・ライへ基金」の残金1041180円を全て、山形大学の坂井さんのプロジェクトに寄付させていただき、私たちの基金の活動をいったんクローズしようと、考えています。
応援してくださった皆様方に、心より御礼申し上げます。
私自身を振り返ってみて、本当に不思議なことだったなあ、という感を強くしています。
40年あまり前、初めて雑誌にマリアさんの写真を見つけたとき、まさかその人に会いに、地球の反対側に飛ぶとは、想像していませんでした。
ナスカにマリアさんを訪ね、苦労しながら3週間を共に過ごしたときも、その地に幾度も足を運ぶとは考えていませんでした。
マリアさんの足跡を追って旅を続け、それをテレビのドキュメンタリー番組でお伝えしたり、ノンフィクションとしてまとめ、拙著「ナスカ砂の王国」を出版するとも、予想だにしていませんでした。
最初は個人的にマリアさんを支援していたものが、やがて「マリア・ライへ基金」という組織を立ち上げ、大勢の皆さんと活動を共にすることになったのも、私自身にとっても驚きの成り行きでした。
思いがけない時の流れはまだまだ続きました。
マリアさんが亡くなったあと、途方に暮れていた私の前に、ドクター・マルクス・ラインデルという研究者があらわれ、私は彼のナスカ・パルパ・プロジェクトに賛同して、協力しあい、パルパ博物館の建設を成し遂げることができました。
夢にも思っていなかったことが、次々形を成していきました。
思い出して今でも涙してしまうほどの、美しい体験を多々重ねることができたのは、まさに私の人生の幸運、神様からの贈り物だったと、心からありがたく感じています。
人は、こんなふうに、たくさんの貴重な出会いに導かれて、その時々で、やるべき仕事を与えられて生きていくものなのかもしれないな、としみじみ思います。
「マリア・ライへ基金」はいったんクローズしますが、勿論、私の個人的な活動はまだまだこれからも続きます。
また、ナスカでお会いしましょう!
みなさま、本当に、ありがとうございました!!!
1985年、マリア・ライへと。
私のナスカへの旅は、ここから始まったのでした。
ナスカの地上絵、ハチドリ
クモの地上絵
1952年マリア・ライへが発見した、
サルの地上絵
2017年7月7日
楠田 枝里子