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ペルーの子供達


またもや、
「世界まる見えテレビ特捜部」の話で恐縮ですが・・・。
いやあ、まいりました。
失態、失態。
5月12日放送の番組のなかで、
(あっ、もう次の月曜日の放送ですね!)
VTRを見ながら、不覚にもボロボロ涙してしまい、スタジオ部分になっても、私なかなか立ち直れなかったのです。
ペルーのクスコという、かつてはインカ帝国の主都だった街で、4人のストリート・チルドレンを追ったドキュメンタリーでした。
放送前にあまり詳しい内容を書くことはできないのですが、立ちはだかる厳しい現実をたくましく生きぬいていく子供たちの姿に、心揺さぶられるのは、私だけではないはずです。
みなさん、どうかぜひこのVTRをご覧になって、はるか南米の地にあの子たちが暮らしているということを思いやってあげてください。
私たちの番組が紹介する分野は、多岐にわたっています。
お腹をかかえて笑っちゃう愉快なVTR、スリルと衝撃、犯罪捜査の最前線、大自然の神秘と、そこに生きる動物たちの生態、不思議、科学技術の進歩のもたらす驚きの数々・・・そして、心に染みいる人々の営み。
それらは全て、この世界の現実なのです。
こんな魅力的な番組を担当させてもらえているなんて、私はなんて幸せ者でしょう。
それにしても・・・。
VTRを見終わったあとの私ときたら、涙で声はくぐもってしまうし、お化粧が落ちて顔はぐちゃぐちゃだし・・・みっともないったらありません。
担当のディレクターさんは、さぞ編集に苦労されたことでしょう。
ごめんなさい。
みなさん、どうか許してやってください。


ここから先は、ちょっと長くなりますが、興味のある方、読んでいただけると嬉しいです。


実は、私はペルーへ何度も旅してきました。
砂漠のなかの小さな街ナスカでも、路上で働くたくさんの子供たちを、目にしています。
靴磨きをするもの、新聞を売るもの、裸足で走ってきて握りしめたガムを差し出す子も・・・。
小学生か、それよりも小さそうな子らまで、顔をこわばらせて、客引きをしていました。
そんな幼いうちから、食べるために働かなければならない、貧しい生活なのです。
だから、学校にも行くひまがない。
結果教育を受けられないから、大人になっても高収入の職業にはつけず、生活は貧しいままです。
自然、その子供たちも、食べるために小さいうちから街で働き・・・。
そんな繰り返し、悪循環なのです。

その街で、クスコからやってきたという3人のインディオの兄弟に出会ったことがあります。
上のふたりは、中学に入るか入らないかくらいの年齢。
一番下の男の子は、小学校にあがっていたでしょうか。
インカ時代の料理を食べさせるというレストランで、流しで歌いにきていたのでした。
お兄ちゃんは使い古したケーナ(笛)を口にあてがい、弟は竹筒をリズミカルに叩きます。
下の子は、自分の背丈ほどもあるギターを抱え、体が半分隠れています。
三人とも、何日も髪の毛をといていないかのように、頭に埃をかぶっていました。
演奏が始まると、ぴいんと張り詰めた少年の高い声が、豊かにあたりに響き渡りました。
美しいけれどどこか物悲しげなメロディラインと、思いつめたような真っ黒な瞳には、誰もが引き込まれずにいられませんでした。
少年たちは、楽しいというより、あくまでも仕事で歌っている印象で、客の期待に応えねばと、懸命にフォルクローレを演奏していました。
何曲も歌い続け、最後に客からチップをもらって、ようやくほっとした笑みを見せたのでした。
興味を引かれて聞いてみると、貧しい家庭に生まれた彼らは、七人兄弟のうち三人が、口減らしのためにナスカの親戚のもとへと送られてきたそうです。
といっても親戚だって、余裕のある生活をしているわけではありません。
彼らはやはり、自分の食いぶちを自分で稼がねばならなかったのです。
私は思わず、
「今日の夕ご飯、一緒に食べない?」
と声をかけていました。
子供たちは見知らぬ外国人の申し出に少し面食らっているようでしたが、それでも、時間を約束して、夕暮れを待ちました。

それから数時間後、私は緊張して後についてくる子供たちと、街なかのレストランへ向かいました。
「好きなもの、なんでも注文していいのよ」
とメニューを渡しますが、なかなか選ぶことができません。
レストランのテーブルに座ることなど、なかったのかもしれません。
結局、私が3人の好みを聞いて、カツレツの盛り合わせプレートを選んで注文しました。
いかにもおいしそうに料理をたいらげる子供たちを見て、私のほうが嬉しくなってしまったものです。
ところが、一番下のマヌエルが、途中で食べるのをやめ、紙ナプキンで料理を包みはじめました。
「どうしたの?
もうお腹いっぱいなの?」
と聞いてみますが、返事がありません。
一緒にナスカに来ていた天野博物館の坂根さんが、説明してくれました。
「ろくに食べてないんですから、お腹いっぱいのはずはありませんよ。
今日は食べられるけど、明日はどうなるかわからない。
この子は、明日の分にと、食べ物を取っておこうとしてるんでしょう」
こんな小さな子が、明日のご飯の心配をしているなんて、と心が痛んでしかたがありませんでした。
「大きくなったら何になるの?」
という問いに、小さなマヌエルはこう答えました。
「ぼく、クスコに帰って、タクシーの運転手になるんだ」
まだ甘えたいさかりの年齢です。
家族そろって暮らせる日を、幼いながら夢みていたのでしょう。

この子たちともう少し一緒にいたいと、食事が終わったあと、さらに私は、
「サーカス、見にいこうよ」
と誘ってみました。
ナスカには数え切れないほど通いましたが、移動サーカスがやってきていたのは、後にも先にもこの一回きりです。
私たちは、ものめずらしげに、小さなサーカステントにもぐりこみました。
最前列に一列になって腰掛け、クラウンが売りにくるお菓子を買い、そろって手をふりあげて声援を送りました。
そこで初めて、私はマヌエルの弾けるような笑顔をみることができたのでした。
演技そのものは、そうたいしたことはなかったのですが、それでも私たちはおおいに楽しみました。

やがて、さよならを言わねばならない時間になりました。
「それじゃ、元気でね、またね」
父も母もいない家に、とぼとぼと帰っていく三人の後ろ姿を見て、私は自分の無力さに、たまらない気持ちになりました。
今日、少しは楽しい思いをすることができたかもしれないけれど、明日にはまた厳しい現実が待っているのです。
「この世界は、なんて不公平にできているんだろう。」
あの子たちの明日のために、何もしてあげることのできない自分が、腹立たしく、やりきれない思いでした。

あのマヌエルの悲しげな黒い大きな瞳を、私は一生忘れることはできないでしょう。
そして、番組でVTRを見たときに、その子供たちとマヌエルの瞳が重なったことも事実です。
あの子たちは、今どうしているでしょう。
いったい、この現実を、どうしたら変えていくことができるのか・・・。

私が「ナスカの地上絵」に関わりはじめて、もう十数年になります。
今展開しているプロジェクトは、この不思議な遺跡の研究と保護活動を支援するものですが、それらは全て、地元の人々の暮らしを豊かにすることにつながってほしいと願っています。
(詳しくは「マリア・ライヘ基金」のページをご覧ください。)
建設中の博物館も、やがてはその地域の施設として寄贈され、現地の人々の手で運営されることになっています。
地上絵は、そこに住むインディオたちの祖先が残してくれた、貴重な遺産。
彼らに誇りをもって、その文化を引き継いでいってもらいたいのです。
遺跡がきちんと保護され、研究の成果が正しく伝えられれば、この魅力的な地を、世界中から人々が訪れるでしょう。
遺跡を軸として、多くの仕事が生まれ、現地の人々が潤うようなシステムを作ることができるはずです。
やがて、子供たちも、食べることを心配せずに学校に通えるようになったら、さらに可能性は広がるでしょう。
勿論、それまでには長い時間がかかると思います。
私が生きているうちには、結果は出ないかもしれない。
それでも、わずかでも可能性があれば、それにかけてみる、そんな夢をみないではいられないのです。

2003年5月7日  
楠田 枝里子